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10月12日

プライベートでクソ忙しいこの時期、よりによって短期案件に入れられて残業の毎日。
そんな昨夜の残業時間にボリボリと食ってたのが、『暴君 ハバネロ』。
これがなかなか食い出したら止まらない。


そして今朝、



ヤツはまさに暴君でした。。。



実にケツの熱い1日でした。


10月14日

午後、トイレから戻った俺の机に置かれた封筒、
そーいえばすっかり忘れてた健康診断の結果である。

封を切ったとたんに中からこぼれ落ちる封筒2つ、これって紹介状ってヤツじゃないのか。
同封のカルテを開いてみると赤文字で3つの文章が。

@左右の視力が低下してます。

A胃ポリープを認めます。

B胸部X線撮影にて肺に腫瘤状陰影(大きな腫瘍の影)を認めます。




・・・・・これって  ヤバいよな。。。



労働意欲完全消失、残業もやめて帰宅。
とりあえず母親に話してみたところ、
「あんたのガン保険ちゃんと入ってるから大丈夫」だとさ。
何が大丈夫なのか分からんが相変わらず冷たいもんだ。

姫に言ってみたところ、
「あんな事言ってるから現実になるねん!」
・・・怒られた。
そーいや姫にも前に書いた日記のような事を言った憶えがある。
それにしてもこのご時世に言霊(ことだま)で怒られるとは。。


そんな訳で本日、大阪は森之宮の親が昔入院していた病院への行ってみた。

さっそくレントゲン検査、
とくに影のようなものは見受けられず、
医師曰く「10中8・9大丈夫。」
大丈夫じゃない10中1・2はけっこうな率な気もするが、気休めにCTスキャンを撮ってもらう。
結果は来週水曜に来いだとさ。
仕事が追い込まれてるのだが、そんなに連発で休めるのか?


次に胃だが、ふつーに「今からだと13人目なので2時間少々待ってて下さい」との事。
平日の昼間、忙しい筈なのに大丈夫か?との後ろめたさを抱えつつ、大阪城公園のベンチで昼寝。
森之宮って意外と何もないんだね。

結局、胃はというと、
放っておいて問題ない程度らしい(自然治癒は一生しないらしいが)。
来月に一応胃カメラ飲んで検査、その1週間後に結果を聞きに来いとのこと。
あと3回も会社休むのか、俺。
休日はもはや無いも同然か。。。

一見、命拾いして「ツイてる」かのようだが、
そもそも怪情報に踊らされた時点でもうツイてないというか割が合わない。


10月17日

マリーンズ優勝。

今日も残業で12時帰宅ですが、とりあえず独り祝勝会開始。
とりあえずビール2本のんだところでここに書き込んでみる。

ああ、ロッテの選手達がスポーツニュースに出まくってるよ。
俺の人生でも始めて見る映像だ。

さて、明日の関西のスポーツ新聞たちはロッテ優勝が1面となるのか、
それともこの期に及んで「阪神、シリーズに備えて実践形式で練習」なんてのが1面なのか。

あまり期待はしてないが。


11月2日

毎日帰るとすでに24時、飯食って風呂にはいりゃあ後は寝るだけ。
休日も出勤で、面白く無い生活の見本のような毎日です。

先々週、実家の近くに部屋なんか借りたので物を運び込んだりしたいのだが、そんな時間は無く、
俺の持ち物は未だ何一つ新居には無い。

とまぁ ここのところ更新の滞ってた間に色々ネタは有ったのだが、仕事でヤラれた俺の脳はそろそろ限界、
あと5分も起きておく自信が無いのでこの辺でオヤスミナサイ。


11月5日

仕事のプロジェクトが佳境に入るこのクソ忙しい中、今日は夕方から友人の結婚式の予定。
式に間に合うギリギリまで休日出勤しろとの御達しなので平日ですら滅多に着ない俺が土曜なのにスーツで出社、
1ヶ月ほど前に出席確認の電話があっただけで 招待状もくれなければ開始時間も教えてもらってない友人にここまでする俺は何でもっとモテないのだろうか。<関係ない

とまぁ サイトにアップされるのは夜以降だろうが、今休憩がてら書いてるのは当日の午前、
まだ時間を知らないのだが、俺は何時まで仕事しててよいのだろうか。。。
連絡こねーなぁ。
祝儀を払うのが惜しくなってくるので早く。。というかそろそろ昼だが大丈夫か?


11月6日

友人の結婚式の帰り、現地解散になったのが午前3時過ぎ。
今までこのパターンでは歩いて帰るところだが、
 ・最近の仕事漬けの寝不足でフラフラ
 ・手荷物が多い
 ・スーツ&革靴で歩きにくい
以上の理由から約3時間のウォーキングを考えると
『途中で嫌になってその辺のベンチで寝る→凍える→いろんな意味で大変な目に遭う』
が用意に脳裏に浮かぶので断念、
地元の友人と共に普段は避けている貴族の乗り物ことタクシーに乗る事に。

深夜なので30分ほどで地元に戻れるのだが、その頃には料金メーターは4000円台後半へ。
友人を降ろした後、我が家に着く頃には5000円台突入。
しかも最寄り駅にチャリンコを停めていたので我が家を素通りして駅まで行ってもらった。(言ってから「しまった!?」と思った)

その間に料金400円ほどUP。。。
いつも通ってるチャリンコで10分にも満たないあの距離で400円、
最寄り駅から難波までの電車賃ですら340円なのに。。。

それ以前に電車で340円の距離をタクシーでは5000円オーバーな料金設定ってサラ金でもそんな上昇しねーし、
料金メーターがバグってるんじゃないかと目を疑い、
実家じゃなくて物価の違う国に到着したのかと思ったよ。

不況の煽りでこのぐらいの料金設定じゃないとタクシー業界はやっていけないなんてニュースを見たことはあるが、
料金が高すぎて客が寄り付かないだけじゃないのか?
少なくとも俺は意地でも当分乗らねー。


11月10日



結婚する。


すなわち人生の後半戦への突入であり、
倍増する制約の中で生きていかねばならないということである。
金銭的な制約もあれば、今までみたく夜にブラッとツレの所に遊びに行って帰ってこないなんて事も気軽にできないのはもちろん、その他にも
例えば
異世界からの使者が来て、「一緒に冒険の旅に出発しよう」と誘われても、「いやゴメン、家族いるから。」と断わらねばならず、
クワトロ大尉に「一緒に来るか」と言われても、「いやゴメン、家族いるから。」と断わらねばならないわけだ。

「まぁきっと楽しい事もあるさ」と自分を慰めて現状をまとめてみると、
3週間前に実家の近所に部屋を借りた。
明日、姫が婚姻届なるものを市役所へ出しに行く。
これだけ。。。
式場も探してなけりゃ、旅行もノープラン、指輪も無いし、親同士の顔合わせすらしてねーや。

いや、それもこれも1ヶ月前から 既に予定のある日以外は休日無し&平日帰宅が深夜な仕事が悪いんですよ。
おかげで未だに新居に俺のものを運び込めてない。

     ← 我が家のAV機器の全貌


入籍までの3週間、姫の一人暮らし願望を満たすという名目で新居には姫1人で住み、俺はその間独身生活を謳歌しようという予定は破綻、
納期を入籍日と同じ日に指定するという 悪辣な敵の罠 お客様のおかげで、独身最終日の今日も残業です。。。<チクショー!!

親の顔合わせについてはウチの父親が行ける日を言わないのが原因なだけでいい迷惑、
というか 結婚式に誘っても「面倒だからイヤ!」と即答しやがった薄情な親なので期待もしてないが。


あっ!? せっかくの前夜だったがコレ書いてる間に当日になっちゃったよ。。。
それでは今夜はこの辺で。


11月14日

何も無い部屋に物を増やして配置していく。
いや、正確には、ヨメの物しか無い部屋に少しずつ俺の物を侵食させ、いつの日か我が自治権を確立する。
これが結婚生活当面の目標。

仕事が一段落で休日に休むという当然の権利を得た俺としては、ここらで一気に実家の物を運び込みたいところなのだが、 アジアシリーズ録画のため、HDDレコーダーなど俺の主力兵器は実家で釘付けである。
しかも土曜晩から日曜深夜にかけて先週結婚した友人の2次会で、俺も釘付け。

そんな訳で先週末の収穫。
土曜・・・電話(実家の)
     ドライヤー(実家の)
日曜・・・テレビ台
     ホットカーペットのカーペット部分(何て言うんだろう?)

いや、電化製品2つとも実家用だし。。。
まさかここで実家の買い物をさせられるとは。

新居にネットが繋がってないので更新もままならず、パソコンを実家から持ち出せないこの不便さ、とりあえずこれを何とかすべきだな。

     ← テレビ様の玉座が完成
組み立て約1時間


11月16日

前回までのあらずじ*********************************************
 健康診断結果のファイルに記された絶望の呪文、
  @左右の視力が低下してます。
  A胃ポリープを認めます。
  B胸部X線撮影にて肺に腫瘤状陰影(大きな腫瘍の影)を認めます。
 Bに関しては解かり易く言うと「末期ガン」だと思うのだが、
 クソ忙しい中、精密検査の結果は「とくに何もなし」。
 とんだ言いがかりで約1万円ほど持っていかれたのだった。。。
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さて今日は胃ポリープの検査。
初回の診断によると、ポリープの中でも最も小さなタイプで放っておいても問題無し、ってか一生放っておくことになると思うが、一応胃カメラを飲んで検査してみるとのこと。

で、今回、
まず、胃をキレイにする薬と称する白い液体を飲まされ、
胃の緊張を和らげると称する注射を肩に一発。
さらにベットに横向きに寝かされると、筒状のプラスチックをくわえさせられる屈辱的仕打ち。

胃カメラ飲まされるのが楽じゃない事くらい知ってる。
知ってるけど知ってる以上の苦しみに襲われる。

「 おええええぇぇぇぇぇ。。。 」

うん アレだ、二日酔いで吐くものも無いのに吐き気だけがエンドレスで襲ってくるあの状態。
嗚咽で苦しむ度に「鼻で息してね」と医師に言われるも、ムリ。
そんな苦しみを意に介す様子も無く進んでいくカメラと俺の眼前で映し出される体内の映像。

胃に到達すると医師は観光案内の如く説明しながらカメラを胃の中で巡らせて行く。
いや、そんなのどーでもいいので早く終わらせて。。。オエェェっ

胃の奥深くで該当のポリープを発見、
すると医師の「 ポリープがよく判るように青い液を流しますね 」という言葉とともに、
カメラから青い液体が噴射される。
このカメラにそんな機能が!?ってかポリープ見つけてから見つけやすくするか。。。オエェェっ

さらに医師、そのポリープをスルーして胃の最奥部へ。
「 ここが胃の一番奥です。
  じゃあ十二指腸に行ってみましょうか。」
一見 質問形式を採っているようだが、もちろん俺が返答できる状態にある訳も無く、カメラは十二指腸へ。
このままでは尻からカメラが出るまで進まれそうだが、このあたりで俺の嗚咽が最高潮に。
「 はいゴメンなさいね、じゃあ胃に戻りましょうか。」
何となく十二指腸まで入ってみました的なセリフと共に、カメラは胃のポリープ地点まで戻る。

医師曰く、
「 じゃあ、一応ポリープ部の組織を採取しますね。」
するとカメラからマニピュレータのようなものが伸びてきて、ポリープをつまむ映像が映し出される。
おそらく表面を擦るなどして細胞を採取でもするのだろうと思った刹那の衝撃映像。

  ぷちっ

ポリープが握り潰された。。。

!!!!???
血がドクドク流れてますけど、放っておくんじゃなかったの!?
どっちかってーと 検査というより荒治療みたいになってますけど。。。


カメラが口から引き抜かれ、台に残るは涙とヨダレにまみれる30歳の男・・・最近結婚しました。。。
あとはもう1発肩に注射され、2日間の食事制限を言い渡されて帰らされる。


はいもう何もいう事はありません、
ただ二度とアレは飲みたくないだけです。


12月7日

駅のホーム。
吐く息の白さがすっかり冬の様相を感じさせる。
最終電車を待つ身であるが、列車の到着時刻はまだ15分ほど先だ。

仕事で追い込まれて今日も終電帰り。
帰って寝りゃあ すぐまた仕事。
こんな大人になりたくないと思ってた人物像に完全に行き着いてると思うのは、疲れてるからだろうか。

向かいのホームの電気が消された。
最終電車の案内板には、
「この電車が先着」
と記されている。
当たり前だ、始発に追い抜かれてたまるか!
きっとツッコミも冴えていないのだろう。

今の俺って端から見ると哀愁漂ってんだろーなぁ。
ハエがたかる一段階手前ってことだ。


・・・・駅でケータイで書いたこんな半分ノイローゼな日記、掲載していいのか?


12月21日

寝違えというより起き違え。
ギックリ腰というよりギックリ背中。

今朝 あまりの寒さに思いっきり力みながら着替えていると、

  ピキッ・・
背中に走る痛み、
俺はこの痛みを知っている。

案の定、背中の痛みは時と共に増幅されていき、夕刻にはすっかり痛みで上を向けず、常時両手ぶらり戦法をとる俺がいた。

俺は知っている、この痛みが引くまで約1週間を要する事を。
そして知っている、その間うがいも間々ならない事を。


12月24日

メリークリスマス、今日も出勤であります。。。

休日なしの深夜帰りも20日を越えたとあって、
今朝も寝不足でフラフラ、体調もイマイチよろしくないが、苦しみにへの有効的な対処が分かってきた。

『慣れ』と『あきらめ』だ。

「今日頑張れば少しは早く帰れるかも」などと期待すると、夕方にはガッカリする。
「平日頑張れば週末1日くらいは休めるかも」などと期待すると、土曜には絶望する。
「週末果たせなかったイベントを来週末に延ばしてもらう」などと希望をつなぐと1週間後には謝ることになる。

仕事に生きがいを微塵も感じず、週末のための資金稼ぎに働いているといっても過言ではない俺は特にこと傾向が強いのだが、 今回に関してはかなり早期に少なくとも年内の総てのプライベートをあきらめたのが、そっち方面で精神的に不安定にならなかった要因ではないかと分析してみる。
おかげで10月に引っ越して以来、家の事に関して何もしてないという問題についてもあきらめてみた。

そーいえば新婚ってやつだよな、俺って。
結婚以来ほとんど家に居ないのだが、そのあたりは逆に姫にあきらめられたのだろうか。。。


12月31日

結局1日の休みも無いまま12月は29日の業務最終日まで働く破目に。
正月休みに入ってしまえばもうダラダラとこの上なく無駄に時間を消費するのがいつものパターンなのだが、
30日、我が奇跡の野球チームの忘年会で昼間から飲んだくれ、
31日、岡山は親の実家へと強制連行。

結局2005年、自らの新居にて1日中 無気力に過ごすというささやか且つ至福の日は訪れること無く終了。

「オラはただ、ここで静かに暮らしたかっただけなのに。」


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