ゴールデンウィーク中の平日ということで嫁さまと子供たちは平常運転、俺だけお休み。
すると天気も晴れへと変わってゆきそうと、次々と旅フラグが立っていきましたもので、久しぶりに銅像めぐりプラスα の旅へ行ってまいりました。
趣味であるこの銅像めぐりですが、すでに千葉や東京の銅像には、ほぼ行き尽くしております。かくなるうえは、早朝から頑張れば行ける場所にまで範囲を広げて目的地を選出しました。
そこで今回は、甲斐武田氏をターゲットにして、初の山梨県へと赴きました。
早朝、千葉の自宅を出発し、まずは新宿へ出ます。そこから特急『あずさ』で一気に甲府まで向かいます。信号故障で特急の到着が遅れるいつものトラップに遭うも、10時には甲府駅にたどり着きました。
JR中央本線の甲府駅前は、南口に武田信玄像、北口に武田信虎像が立っていました。
さらに北口からバスに乗って『護国神社入口』という停留所で降りれば武田信玄の墓もあるという情報を得ていましたので、北口のバスターミナルをウロウロキョロキョロ。それっぽいバスが来ましたが、乗る勇気が出ません。
これは不馴れな地でバスに乗るときによくある事です。ネットで停留所名まで突き止めても、到着したバスがそこに停まるものなのかが判らないのです。今回も主要な停留所ではないのか、どの乗り場にもどのバスにも『護国神社入口』とは書かれていません。バス乗り場の案内に、そこから発車するバスが停車する全ての停留所を明記しくれれば済む話なのに、なぜそうしないのかが謎です。
地図アプリで護国神社を調べてみると、近い場所に『武田神社』が在ります。有名な場所のようで、『武田神社』と書かれた乗り場やバスはあります。最悪、目的の停留所が無くとも、武田神社から歩けばたどり着けると考えてバスに乗りました。
ぶじ護国神社入口に停車しましたので、山梨県護国神社で御朱印を入手、武田信玄公の墓にも手を合わせてきました。
さて、甲府は山梨県の中心のはずですが、在来線が1時間に1本しかありません。信玄公の墓から甲府駅に戻ったものの、目の前で列車に先立たれたために1時間のロスタイムを経て向かったのが韮崎駅です。
韮崎駅から徒歩10分ほどで着く韮崎市役所の前に銅像が在るのです。現地に着くまで、それは武田信玄の長男の武田義信の像だと思っていましたが、これが勘違い、源平合戦期の御家人である武田信義の像でした。
名前が似ている……
本当はゆっくり観光でもしたいところですが、お次は電車で逆走して甲斐大和駅へ。駅前に立つ武田勝頼公の像を撮影しました。
さらに逆走して塩山駅へと向かう電車まで8分しか時間がなかったため、大急ぎで写真だけ撮って駅に戻るバタバタ状態です。下校中の女子学生が傍に座ってお喋りしていましたが、小走りで近づいてきて銅像を撮影する男が不審に思われるのではないかと恐れながらの撮影なのです。今のご時世、どんな些細なことで事案にされるか分かったもんじゃないですからね。
この甲斐大和駅の周囲を見て回る時間は皆無でしたが、銅像の周りは舗装された上り坂があるのみで、ただ山があるだけという記憶です。
最後に下り立ったのが塩山駅。
この駅前に甲府とは違う姿の武田信玄公の像が在ります。ここ塩山には武田信玄の菩提寺である恵林寺(えりんじ)が在るということで、駅前に銅像が建てられたのかもしれません。
そういえば昔やったRPG『天外魔境』でも、シンゲンという敵の中ボスが塩山に居たなぁ、なんて思い出しました。
以上で夕方となってしまったこともあり、引き上げることにしました。遠い現地で日が暮れてしまうと、急激に心細くなる習性があるもので、このあたりが退き時なのです。
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