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8月7日

子供に合わせて夏休みを取ったものの、武漢熱騒ぎの治まらぬこんなご時世では予定も立てられず、大阪の実家に帰るわけにもいかず。
そもそも帰ったところで友人たちと飲みに行けるわけでもなく、気軽にレジャーに出掛けられるわけでもなく。
私たちが帰省しているのを見れば、実家のご近所さんの心中も穏やかではないかもしれないし、仮にこのあと近所でウイルス感染が出た場合に、我々が持ってきたと疑われるのも面白くないし。

大阪人にとって、関東は全て「東京」である。
千葉県民に言わせれば、「千葉県より大阪府の方がよっぽど感染者は多い」なのだが、実家に帰れば東京から帰ってきた扱いを受けるだろうということで。

それにしても自粛や感染予防ってのが、頑張って色々と動かないことへのお墨付きになってしまっている。 家でダラダラすることに慣れきって、もはや何か予定を立てようなんて考えもしない。
夏休みも半分過ぎた頃、同じように毎日家でダラダラしている子供たちにを見て一念発起して企画したのがバーベキュー。ただし、自分で用意はしない。
ネットで前日予約の勢いでポチッと申し込み、幕張のバーベキュー場へ。
そこは幕張の街中の公園で毎日営業していて、バーベキューセットと屋根だけのテントを用意してくれるという施設なのだ。
殺人的酷暑などと騒がれる真夏のクソ暑い中ではありますが、そこは換気に関しては西武ドームよりも風が通る。何せ四隅の棒と屋根だけですから。

はい、クソ暑かったです。クソ暑い中で酒を飲んで帰ってきました。


8月9日

外出自粛まっ盛りだった頃、芸能人たちがやっていると中途半端に話題になったオンライン飲み会。
夏休みに友人とも会えないので、試しにこのオンライン飲み会をやってみた。

テレワーク用に購入したwifi中継器をセットし、冷房の効くリビングから離れた西日の射す玄関横の暑い部屋で夕方にスタンバイ。
スーパーで買ってきた鰹のたたきなど、この暑さではたちどころに腐ってしまうのではないかと心配しながらのスタートでした。

当初、ブラウザで利用できるオンライン会議サイトを使って友人たちと集まり、我がタブレットに映し出されるメンバーの映像からも快適な飲み会が予想されたものです。
ところが、私のタブレットには快適に自分が映し出されていても、他全員のモニターでは快適ではなかったようで、皆が口を揃えて「お前だけ4秒くらい声が遅れて届く」と言われる。
そんな、やり過ぎたいっこく堂状態ではリアルタイムな会話が成り立たないと、それ以降は飲むことをそっちのけでタブレットの設定からタブレットの置き方までいじりたおすも、 改善するどころか「7秒ほど遅れるようになった」と甲斐の無いことを言われだし、終いには「11秒遅れた」という。

ザ・ワールドに慣れてきたディオのように、段々と声の届く時間が遅れていく。


仕方が無いというこになり、会議アプリをZOOMに変更した。
これがまた、飲み会には向いていない。
このアプリでは発言権は常に誰か一人であるため、口々に話したり、後ろからツッコんだりボヤいたりなんてものが、全ての聞こえません。
やはりこれも、ヘッドセットなどを使わないと、会話が成り立ちにくいのかもしれない……でも、飲み会でヘッドセットってのもなぁ……


8月14日

小学生は夏休み。子供が家でドラクエ5を楽しんでいる。
大人にとっては今頃ですが、子供にとっては初プレイ。
劇中の結婚イベントでは、ビアンカを相手に選んでいました。
やはり初見でフローラを選ぶのは至難の選択のようです。


8月26日

物心がついた頃、ガンダムが流行りだしていた。平日の夕方に毎日再放送される特撮がメインの私には、まだガンダムは無縁の存在でしたが、 その頃に母に連れられて乗った近鉄電車の壁に『機動戦士ガンダムU 哀戦士編』の映画広告が貼ってあったのは薄らと憶えています。
しかしその翌年、『機動戦士ガンダムV めぐりあい宇宙編』が公開される頃には、もうどっぷりと浸かっている私がいました。

この当時はガンプラがなかなか手に入らなくて、模型屋に行っても置いてあるのは不人気で売れ残った旧ザクばかり。
小学生となったそんな時期、地元の町に西武百貨店が建った。 そしてある時、その百貨店の屋上にてガンプラの抽選会なるイベントが行われ、私も父に連れて行ってもらった。
お目当てのプラモは『量産型ズゴック』。そう、初めてガンダムなるアニメを通しで観た幼い私が、最もカッコイイと感じたモビルスーツはズゴックだったのです。
当日現地でイベントにエントリーし、番号札を貰う。抽選で番号が出れば、用意されているプラモの中から好きな物を選べるというもの。運良く私の番号は引かれて、三百円のズゴックを入手したのだ。
迷うことなくズゴックを手に取ったが、そのあとで明らかに三百円どころではないドムの大きな箱を持つ人を見たとき、『ズゴックを選んだのは浅はかだったのでなないか』と子供心に思ったのを憶えている。

ただ、今となって考えてみれば、大人気のプラモデルを無料で配るイベントなんてあり得るだろうか。 幼い私が解っていなかっただけで、父が代金を払っていたのかもしれない。
しかし当時は、今では考えられないイベントが当たり前のように行われてもいた。 例えば近所の市場では各店舗にて購入時に券が渡され、その券を数枚集めると『現金のつかみ取り』なんてイベントもやっていたし、やたら当たりの多い三角クジ(中に金額が書いてある)もしょっちゅう引かせてくれた。 そんなご時世だっただけに、本当にプラモデルを配っていても不思議ではないとも思える。

時が経つにつれ、模型店にも普通に並ぶようになっていったガンプラ(なぜかシャア専用ズゴックだけは見ることはなかったが)、色々と作ったものです。

高校・大学の頃、模型雑誌や店頭の見本として目にするプラモは、エアブラシという器具を使って綺麗に塗装されるようになっていました。 一方、自分で作るものは筆塗りでムラが発生し、しまいにはリアルに仕上げるためのスミ入れでチープさが増すというこの落差に嫌気がさし、 プラモデルを作らなくなりました。どうしても専門的な道具が高価で敷居が高すぎました。

当時、最後に手を付けていたのがMGのガンダム。
MG(マスターグレード)というシリーズが発売されたということで早速購入したものでしたが、作成途中で放棄されたそのガンダムは二十年経った現在も手と頭が無いまま、仁王立ちしておられます。 もはやパーツも紛失して存在しないので、永遠に進捗は上がりません。

本棚の一段がプラモスペースとなっていまして、高校時代に作ったものはもう三十年近くこの棚に立ち続けています。


時は流れ昨年のこと、ものすごく久しぶりにガンプラを作ってみた。昔を思い出そうと筆塗りで作ったのが、グフカスタム。


これを機に模型店で詳しく道具を見たり、かつては存在しなかったインターネットで調べてみたりすると、あの敷居の高かったエアブラシが今では安い物なら手の届く価格。 しかも、コンプレッサーのような大掛かりな動力機械を買わなくとも、ガス缶や充電式でエアブラシが動くというイノベーションが起こっているではありませんか。

今年に入り、いい大人が小遣いを投入。エアブラシをはじめ、今どきのプラモ工具を幾つか購入、そんな調子に乗った装備で作ったのが、グフフライトタイプとシャッコー。


マズい、大人なのに歯止めが利いてない……


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