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7月1日

東京のテレビ局が制作する番組って、 全国ネットであっても東京都内の地名を当たり前のように出してくるよね。

さも「東京の地名を知らない日本人なんているわけないよね」と言わんばかりに地名を出してくる。
どうでもいいことでテロップ出しまくりなのに、それすら無く。

大阪のローカル番組で、十三(じゅうそうと読む)や福島(梅田の西に位置する)をよく語りますが、 これは関西ローカルだからですよ。

小さな頃からテレビっ子だった俺が、今こうして東京に来て山手線に乗ってみると、
初めて通るのに、ほとんどの駅名を知っている。
でも、それら知っている地名の位置関係がもうさっぱり分からない。



あと、最近のテレビでいうと、
「このあと、涙のワケは」
の煽りでCMに入るパターンにもイラッときてしまいます。


7月2日

独人時代は実家にパラサイト、
結婚後はヨメ様に依存し放題。
そんな生活無能力者な俺が唯一作成可能なのは、袋入りのインスタントラーメン。

カップラーメンを調理とはさすがに言いませんが、
鍋を使ってグツグツ炊く袋入りラーメンは、俺にとっては料理以外の何物でもないのです。

そんな俺が一人暮らしているアジトに今だ鍋が存在していない。
唯一可能な料理を封じられる恰好である。

これぞ『一人兵糧攻め』。
「俺は生き延びることができるか」(故・永井一郎氏の声で)


7月3日

知ってはいたけれど、やはり東京は人が多過ぎる。
そして外国人もすごく多い。

今日は早くも駅で、外国人に話しかけられました。
外国語なので全く何を言っているかは分からないが、どうも公衆電話のかけ方を聞いているような雰囲気は察した。
なので教えました。

「受話器を持って、先にお金を入れてから、ボタンを押すんですよ」

流ちょうな、完全なる日本語で。

するとこの外国人さんは、俺が言った通りの手順で電話をかけようとします。
通じたのか? そんな筈はないのだが。
そして「電話がかからない」的なリアクションをされます。

いや、国際電話は俺は分からないですよ。
そもそも彼が投入した20円でつながるのかも。


さすがにコイツでは話にならないと気付いたのか、
「センキュー」っぽいセリフとともに解放されました。
ここにきて「ソーリー」と知っている中途半端な英語を発してしまった俺は、まだ修業が足りない。


7月4日

今日の夕食はココイチのカレー。
マクドとラーメン屋以外に一人で入れなかった気の小さな俺の、初の一人カレー屋なのであります。

いやまぁ、「カレーを食べたよ」ってだけの話です。

しかし、ココイチってのは、入り口付近に漫画が置いてありましてね、
「どうぞ読みながら食べてください」といったスタンスのようです。
そこで俺も、『豊玉戦』を熟読してやりましたよ。

豊玉戦ってだけでスラムダンクと分かった人は、スラムダンク通。


7月5日

友人と飲みに行きました。
東京に来て約1週間、寂しすぎるこの心が癒されました。

友人の都合で、待ち合わせは秋葉原駅前。
秋葉原がオタクの聖地として有名なことは、当然俺も知っているのです。
そこで待ち合わせ時間より少し早めに行ってみて、秋葉原を探検してみることにしました。

すぐに、やたら人通りの多い歩道に出たので、その流れに乗って歩いてみました。
すると、これは俺の気のせいではなく、本当に100メートルくらいだったと思う。
2つ目の信号に差し掛かった頃にはすでに普通のビル街に都市は姿を変えていた。
あれ?短い。

仕方ないので左に曲がり、聖地の深遠へと進んでみる。
しかしこちらも数十メートルでそれらしい街並みは終了。

聖地は想像した以上にエリアが狭いんですね。



待ち合わせ後の飲みは、秋葉原とは逆方向の神田でした。
まぁ、いつものように終電間際まで飲み続けて終了。


7月6日

ちょうど1週間前、初めてこのマンスリーマンションの部屋に到着した時、 部屋にはレンタルの寝具セットが置いてあった。
ビニールを開けると、白い大きさの異なる布が入っていたので、これは寝具のカバーだと察し、
掛け布団、マットレス、枕にカバーを装着して、今に至っています。

そしてもう1つ、ビニールに入っていたのが、茶色いタオル状もの。
大阪のウチでは枕にタオルを敷いて寝ていたのを思い出し、この茶色いのも枕に敷いて、頭を置いて寝ておりました。


しかし1週経って、とうとう気付いてしまいました。

これ。。足ふきマットだ。。。


7月6日

いずれ家族を迎えて関東で生活するため、住む場所を探さなくてはいけません。
なので東京での週末は、都心部へ通える範囲で、色々な沿線を見て回ろうと思います。

そんな第一弾に選んだのが京王線沿線。
新宿駅から西方向、八王子までの西東京をカバーする路線なのです。

なぜ最初が京王線かというと、単に高幡不動の土方歳三像を見に行きたかっただけです。
ちゃんとネットで調べてきました。
高幡不動駅は特急が止まる、終点から少し前の駅なのです。


例によってキョロキョロと不審な挙動で新宿駅を徘徊し、京王線を発見、特急に乗り込んだのでした。


外の景色を見つつも停車駅名には気を付けていたのですが、なかなか着かない。
すると終いには、「終点、橋本ですー」のアナウンス。

降ろされた終着駅で路線図を見てみると、どうも途中の駅で路線が分かれるようで、
思っていたのと違う方へ来てしまったようです。
まぁ、色々と見ることできてむしろ良かったということで。



分かったこと。

南の終点『橋本』と『府中』にはマンションやビルが多く見えました。
それ以外はどこも住宅地ばかり。
ただし同じ住宅地でも、八王子方面は見渡す限りの住宅地でしたが、
橋本方面は山を切り開いて開発途上といったイメージで、見渡す限りではありませんでした。


ずっと住宅地を抜けていくという意味では、大阪でいうところの京阪電車なのでしょうか。
ということは出発駅の『新宿』は大阪でいうと『京橋』なのか?

しかし新宿といえば『シティーハンター』にでてきたオシャレな街のイメージ。
とりあえず新宿駅から外に出てみて、この目で確かめてみるのです。

駅前から見回すと、『ルミネ』『アルタ』『歌舞伎町』知っている全てが見渡せる範囲に存在。
やはり東京の街は一つ一つが狭いんですな。
駅の逆サイドに回ってみると、お世辞にも綺麗ではない街並み。
そして思ったより街も小汚い。

うん、京橋ですな。


(後半は関西人にしか分からない内容で失礼)


7月19日

早朝の山手線。
夜中に働いて今が帰りなのか、そうとう眠たそうな女性が座っておられます。

そのウトウトぶりは半端なく、
デンプシーロールで左右の人を蹴散らし、自らも窓にガンガン後頭部を打ちつけていきます。

そして電車が駅に停車している間は、なぜか座席スレスレの角度で横向きに静止します。
腹筋が異様に発達しているのでしょうか。
そのため電車の外側から見ると誰も座っていないように見えるようで、毎駅、座席に座ろうと乗り込んできた人を驚かせます。

そんな二度と目覚めることがないかと思われた彼女でしたが、列車が渋谷駅に到着した瞬間、 すっくと立ち上がり、毅然と下車していきました。

人間の帰巣本能の神秘を垣間見ました。


7月20日

家族で岡山へ。
連休を利用して、90代の祖母を見舞ってきました。

せっかくなので、瀬戸内海の海水浴場へ行きまして、王子を海で泳がせてみました。

去年までは波にビビって身体を浸けることもできなかったものですが、
今年は浮き輪さえあれば、パシャパシャと楽しそうに泳いでおります。
ぜんぜん前に進まないのだけど。
海流に流されて進んでいるだけなのですが、本人は泳げている気になっているのが可愛いところ。


ただし彼はまだ、すべての拠り所である浮き輪が転覆した時の恐怖を知らない。


7月27日

海で泳げて気を良くした王子がやたらとプールへ行きたがる。
仕方がないので兵庫県の東条湖にあるプール、翌日には俺も子供の頃によく行った市民プールと、 水遊び三昧。

おかげで日焼けした身体が痛い。
入念に塗り込んだ日焼け止めがまったく効力を見せないのは、どういう了見か。


そんな中で休みも終わり、東京へ戻ることに。

とにかく荷物が重いのですが、これが日焼けで真っ赤な肩に食い込む苦痛。
これは予想以上の苦行。


8月5日

関東に出てきた俺は今、一時的に『目白』という所に住んでいる。
大阪でこれを言うと、
「えっ 目黒?」と言われる。
関西で目白を語ることは、
人の口から「目黒」という単語を確実に引き出すキラーフレーズであるらしい。
目黒を引き出したいというシチュエーションは一生無いと思うが。


目白は山手線の駅でして、改札を出て右に行くと何もなく、左に行くと道沿いに多少の店が建ち並んでいます。

俺が行きそうな店なら、マクドやCoCo壱番屋もこの『左』に存在しているのは言うまでもなく、 歴史的に語ると、漫画界のレジェンド藤子不二雄先生をはじめ、昭和の漫画界を牽引した漫画家たちが集ったというあの『トキワ壮』も、この『左』エリアに存在したのだそうです。

そのトキワ壮は、今はもう存在しないようなのですが、なぜ国は重要文化財として保存しなかったのか。
「クールジャパン」などと標榜するなら、まずココを保全すべきだったと主張してみる。

もし俺が大手出版社の力ある存在なら、この地にトキワ壮を復元、
地方から出てくる5年目以内の新人漫画家への僚にするね。
なんかモチベーションも上がりそうだし。

そしてそんな中から出てきた逸材には、隣駅である高田馬場にワンランク上の仕事場を用意してあげる。
(たしか手塚治虫先生がトキワ壮から高田馬場に移ったんじゃなかったっけ)

とまぁ目白駅の左について多くを語ったわけですが、俺のアジトは目白の右手です。。。


先に「右には何も無い」と書きましたが、これは良くない、適切な表現ではありませんでした。
この世界、一方の方角に何も存在しないということはありえず、何かは存在します。
目白の場合、『学習院大学』という超名門の大学が在ります。

最初に東京の地に降りたって、地図を記憶に初めてアジトを目指したとき、
「学習院大学を超えた所に在る信号を曲がってすぐ」
と憶えて来たものでした。

しかし実際に歩いてみると、学習院大学が終わらない。
終わらなさにイライラするくらいに広い。
しかも横を歩いたってただの壁、道路の逆サイドは工事現場と警察署、歩くことに微塵の楽しさもない。
そう、これは俺にとっては何もないのも同然なのであります。


そんな目白を紹介いたしましたが、最近、目白駅ではなく池袋駅へ向かてもほぼ同じ距離なことに気付いてしまいました。


8月8日

「小杉は一番高いですよ」

「はぁ、そーですか。。」

武蔵小杉の賃貸不動産チェーン店の店員さんと、俺との会話です。

何人かの友人に住む場所の候補を複数挙げてもらったところ、武蔵小杉の出現率が高かったもので、やってきたわけです。
しかも今回は、週末と夏休みを利用して上京してきた家族も従えているのです。

従えているとはいえ、もちろん王子は戦力外。
むしろ不動産屋からの情報収集の妨げとなるので、我がスマホとそこに入っている『なめこ栽培キット』を与えて黙らせておく戦略だ。


さて、冒頭の会話にて武蔵小杉攻略戦があっさり破綻したので、あとはこの店員から情報を引き出す情報戦へと移行。

地の利を知らねば勝てないと諸葛孔明先生も言ってただけに、プロを相手にある程度の情報と知識を得るのが得策だと思うのです。

物件探しの条件をたずねられ、遠く神奈川の一店員に
「八尾みたいなところ」
という爆弾をいきなり放り込んだヨメ様でしたが、
気を取り直して、次のような要望を述べておりました。

・家賃10万円以下
・3LDK
・カウンターキッチン
・治安の良いところ
・学区の評判が良い
・公立幼稚園の在るところ
・でも「オホホ」はイヤ
(最後の「オホホ」というのは、関西でいうところの芦屋のマダムのようなセレブが多く住む所のことであり、 感覚の乖離が大きく、とてもママ友にはなれないという彼女の意思表示である)

そんな理想郷は無い。

そもそも八尾の治安が良くないので、すべての要望を満たすと、八尾じゃないものが出てくる。


また、俺の要望は、
・都心に通うのに横浜を越えた先に住むのは何となく抵抗がある
くらいで、あとはもうその土地の雰囲気しだいです。


店員さんが健気に条件の近い路線を考えてくれた結果、田園都市線沿線はどうかということになった。
しかも東京寄りは高いということで、ある程度西に攻めた『青葉台』という駅が次のターゲットである。


8月9日

家族が東京に来ている中、1日は王子の喜びそうなところに遊びに連れて行ってやろうと思っていました。
王子の好きなプールに連れて行ってあげようと思い、色々とリサーチなど準備していたのですが、 連日の悪天候で暑くない。
というか肌寒いくらい。
そこでプール以外の候補に挙がっていた『こどもの国』なる場所へ連れて行くことにしました。

くしくもそこは、次の調査候補だった田園都市線の青葉台の少し向う。

本来なら途中で寄っていけばよいような気がするが、いつ雨が降り出すが分からない空模様では、 少しでも早く現地に着いて、少しでも遊ばせてやった方がよいかなという親らしい思考が働くのです。


午後、現地に到着。
チケットを購入して入場した途端、降り出しましたよ。
実に解り易いタイミングの大雨。

しばらく屋根のある処で昼食をとって時間を潰していると、雨もほぼ止みましたが、 この雨をきっかけに、ほとんどの施設やアトラクションは中止状態になってしまうという残念祭り。


けっきょく遊具のある公園のような場所で遊ばせるだけになってしまったのですが、 初めての遊具をこなして、
「また出来ることは増えた♪」
と嬉しそうにしている王子を見ていると、すごく可愛く見えてしまう俺は、
すっかり変わっちまったのでしょうか。


8月10日

家族は金・土・日と東京に滞在している。

滞在といえばこの3日間は、戦後最大規模で、動きが遅いために「のろのろ台風」と呼ばれた台風が 日本に滞在した期間と丸かぶりでした。

そんな最終日にも関わらず窓から外を見てみると、景色には見事に無数の斜線が入っております。
横殴りの雨というやつです。

しかしこのまま屋内で日を無駄にするのはあまりにももったいない。
過ぎた日はもう戻らないのです。
好天にはならないまでも、夕方には雨はマシになると判断し、 次の住むとこ探しのターゲットであった『青葉台』へ向かったのでした。

例によって若のベビーカーを押したり持ち上げたりと、 ベビーカー移動に優しくない東京の駅や街をぬっての移動にも、3日目で少し慣れた気がする。


そして例の田園都市線。
道中の車窓からの景色を見ていると、何だか風景の上下が激しい。
山岳地帯なのだろうか。

青葉台駅は綺麗な駅で、飲食店の入った駅ビルも在りました。
しかし駅から少し離れたところまで歩いてみると、何だか寂しい雰囲気。
雨上がりの曇り空が寂しい印象に拍車をかけているのだとは思うけど、道路が最も低い位置に在り、両再度が上り坂という高低差。
道路沿いの家々は高級そうで、とても我が家として手はでないような大きさですが、どれも玄関まで長い階段を有しており、 バリアフリーには程遠い。

見上げる位置に小学校が見える。

なにより『山のにおい』がする。

住み慣れ親しんだ大阪の八尾をベースで考えると、「コレじゃない感」がすごい。
ヨメ様も否定はせずにやんわりと評価しているが、これでマンホールに【横浜市】と書かれているのを含めて、 かなりの違和感を感じているようです。


近鉄大阪線沿線に住む人限定の非常に伝わりにくい例えでいうと、 関屋駅で降りたみたいだったと言えば言い過ぎでしょうか。
(この表現は大阪・奈良の人でもほとんど分からないと思います。。。)

住むとこ探しはまだしばらく続きそうです。


8月16日

8月16日ということで、靖国神社を参拝してきました。

15日ではないのは、ただ仕事だっただけです。
末端のいち民間人ですので、政治的意図はございません。


歴史好きとしましては、日本というのは歴史と伝統のある素晴らしい国だなと 平素から思っているわけです。

ヨーロッパや支那よりスタートは新しいものの、内容が濃い。
しかも国として現在まで続いているところが誇らしいところだと個人的には思っている次第です。

普段、生活していれば、悩み事の一つや二つはありますよ。
でも悩みながらも、楽しいことだって考えながら、今の自分が存在していられるのは、 過去に日本を支えてくれた人や、命がけで戦ってくれた人のおかげだと考えれば、 「ありがとう」と言いたくもなる。

そんな「ありがとう」を言える場所が在るのもまた、素晴らしいことだと思うのですよ。


9月6日

休みになると、住み良い町を求めて歩き回っております。

ただ、これまでに歩いた町を思い返してみると、印象の良い町というのは、晴れた日に歩いたところばかりである事実に気付いてしまいました。
正確には、雨の日に歩いた町の印象が悪い。

どーも正確なジャッジができていないようなので、行くといつも天気の悪かった千葉方面に改めて来てみました。
誠に残念なのは、今日はまた今までになく悪天候なことくらいです。


。。。まぁ、天候とイメージのカラクリにすでに気付いているのですから、
そういうフィルターを外して観察会することもできるでしょう。


まずは到着した千葉県は総武線の津田沼駅にて乗り越し料金を精算すると、『550円』とのこと。
そして財布を開けてみると、入っていたのは『1200円』。

これは。。。往復すると100円しか残らない。

現地で昼ご飯でも食べようと思い、何も飲み食いせずに来たのだけど、 ご飯どころか、うっかりジュースの1本でも買おうものなら、遭難確定の事態。
船橋まで歩いて、その後また市川へ電車移動して散策というプランでしたが、電車できざむことはできず、計画はあっさり破たん。


雨の中、津田沼から船橋への2駅分をとぼとぼと歩きました。

食べることができないと決まると、お腹が減って力が出ない気になってくるから不思議なものです。
船橋駅付近にたどり着いた頃には、空腹とストレスと悪天候に疲れて、
「もうどこの町も同じようなものじゃないか」などと考えるようになている荒んだ俺がいましたよ。


9月7日

右首から背中にかけて、すごく痛い。
読んでる方は、「またか。。」と思われるでしょうが、
もちろん俺もそう思っております。
いやもううんざりしております。

身体のどこも痛くない時期が異様に少ないのです。
痛いところが無い時期は無い時期で強烈な眠気が止まらなくなるし、万全のコンディションというのはどんなものだったか、
もう遠い記憶すぎて忘れちまったのです。

今回も寝違えのようなタイプの痛みなのですが、昼間からじわじわと発症するので、原因がよく解らない。
たしか先々週の背中痛も日中発症でした。

来年40歳ともなると、この身体はどうなってしまうのか。
お年寄りがよく「そこらじゅうが痛くて」などと言いますが、これを上回る痛みを常に抱えているのでしょうか。
おれはその頃、その状態で果たして正気を保っていられるのだろうか。


9月11日

日本第2の都市と言われている大阪で育ったといっても、やはり首都東京とその近辺からすると田舎なのであろうか。

東京のことをロクに知らずとも、これまで何度となく映像や写真またはイメージを植え付けられているために、 東京やその周辺に関してよく知っているものがある。

例えばこの夏に東京に来て、最初に東京タワーが目に入った時、
「あっ!?東京タワー」
と言ってしまった。

どちらかというと感情の乏しい俺は、無意識に思ったことが口に付くようなタイプではないと思っていたのですが、
東京タワーに関しては計3回、「あっ!東京タワー」となってしまった。
うち1回は俺独りの時だったので、なんとか心の中での叫びにとどめたが。

おそらく東京タワーというのは、「東京という日本の首都にある、この国のシンボルともいえる建物なのだよ」 という幼少からの刷り込みが効いていて、 少々知恵が付き、そうでもないと分かっている今となっても脳が反応していまうのだろう。

たしかにヨメ様も、小学校での反戦教育が完成してしまっているために、決してそんなことはないと分かっている今でも、 飛行機のプロペラ音や白黒の映像が怖いと言っていた。
刷り込みとは恐ろしいものだ。


じつはその他にも目に入って「あっ!」っとなったものはいくつかある。

・スカイツリー
・横浜駅
・生麦

スカイツリーが見えた時は、その大きさから、「あっ!あれはまさか」という意味で「あっ!」と言ったが、 スカイツリーという名前が思い出せず、「あっ」止まりでした。 まだまだスカイツリーの俺の脳内知名度は低いのだろう。


『横浜駅』については、友人の車にてふと目に入った駅の駅名が見えた時。
おそらく横浜に過剰な憧れを持つヨメ様の影響を受けてのことだと分析します。
やはり周りに置く人間の自分への影響というのは侮りがたいものがあるようだ。


『生麦』も同じ日に友人の車から見えた地名の看板。
これはただの歴史好きの後遺症。
たぶん『関ヶ原』などでも同じ反応をしてしまうのでしょう。


しかしまぁ『関ヶ原』といえば、 「天下分け目」とはよく言ったもので、
あそこで西軍が勝っていれば、そして豊臣が上手くやっていれば、 少なくとも江戸は日本の右端の方の、ただの地方都市だったのでしょう。
そうすると、今でも大阪は日本第1の都市だったかも知れず(首都は京都)、
今でも俺はダラダラと大阪で過ごしていられたのかもしれない。

そーか、俺のこの今の激動は、家康のせいだったのか。


9月23日

王子が例によって、妄想のシチュエーションで遊んでいる。

セリフをよく聞いてみると、

「 うわー 魔王の群れだー!
  こんな魔王だらけにどーする!? 」

思ったより絶望的な状況で戦ってた。


9月28日

千葉に住むことになりそうです。

当初、来年の4月くらいを目標に、関東で家族と住むところを探す予定でしたが、
大きく繰り上げて急いで探した感が強いです。

期間でみれば意外と短かった東京での単身生活、引っ越し後は、また当サイトの更新ペースが落ちるんだろうな。


家族を迎えると、もう大阪に戻る頻度がほぼ無くなるのが何とも寂しいですが、まぁ仕方ないですね。
ほんの半年前までは、大阪から関東に行くなんて、かなり大きな壁のある大旅行だったのに、急に自分の世界が広がって、マヒしてるんですよ、きっと。


さて、千葉といっても最近までは東京のこともロクに知らなかった俺ですから、千葉に詳しいわけがありません。

せっかくなんで、この今のよく知らない状態で、勝手なイメージで千葉を語ってみようと思います。


※※※ここからは全て、俺の偏った知識とイメージだけで書きますので、真実と多分に異なる可能性がありますが、ご了承ください※※※


■千葉の知識およびイメージ

ネズミーランドが在る。

千葉マリンスタジアムが在る。
(現在、名前が換わっているみたいですが)

ハザードマップが真っ赤っか。

学生時代に見ていた『全日本プロレス中継』で、千葉のお客さんはマナーが悪いと言っていた。
(たしか入場してくる御大ジャイアント馬場に、物が投げられたらからだったと思う)

東京の職場へ転勤する人は、神奈川か千葉を住む場所の選択肢とすることが多いが、 どちらかというと神奈川を重視されてしまう。
※イメージです

神奈川に劣等感が有るが、それ以外の関東の県に対しては、何故か優越感を持っている。

これは大阪にて、近鉄沿線に住む人が阪急沿線に劣等感を持つものの、京阪や南海沿線に対しては優越感を持っている現象と似ている。

京阪電車は大阪の2大都市であるキタにもミナミにもつながっていないというのが理由。
※イメージです

また、大和川で勝手に頭の中で国境線を引き、大和川以南を下に置くことで、阪急沿線への感情とのバランスをとっているため、 大阪南部を走る南海電車の沿線にも優越感を持っている。
※イメージです

そんな大阪人ですが、総じてさらに南の和歌山県に対して優越感を持っている。
※イメージです


すみません。
千葉の話をしていたつもりでしたが、いつの間にか大阪の4大私鉄沿線の話に脱線していました。
(電車の話だけにウマいと褒めてくれる方、募集中)


また、これも個人的な分析になりますが、日本の歴史的観点から見ても、千葉は東の果ての僻地。
戦略的価値の低い地だけに歴史的出来事は少なく、俺が巡るのを趣味としている歴史的銅像なんてのもかなり少ないと思われます。
これはなかなか辛いですな。

いや、像はあるんですよ。
しかし残念ながら、わずかながら俺が歩いた範囲で出てきたのは、

こんなの

    

 

や、こんなの

    

 

その他続々と現れる像は残念なものばかりでした。


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