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4月20日

長らく日記なんて書いてませんでした。
その間、色々とあったような気もしますが、もうそんなものは、胸の痛みと共に忘れちまいました。

いや、咳が止まらなくて。
ひと月以上「ゴホ!ゴホ!」やっていると、 肺の周りと言ったらよいのでしょうか、胸や背中や腋の下に激痛が走るようになりました。
悶絶しながら咳き込んでおります。

何年か前にも同じようなことを書いたのを憶えているので、いつか治まるだろうと思いながらも、そろそろ1ヶ月。
まだ治まる気配なし。


最初は忙しい時期があったんですよ。
(辛くて封印してた記憶を思い出してきた)
3月の最後の週辺りは、熱出しながらも休まず、休出込みで出勤。
4月に入って王子の入園式の日にやっと休みを取ったものの、けっきょく呼び出しを受けて、そのまま会社に泊まり。
大変だったはずだけど、思い出そうとしても、咳き込んでた記憶ばかりが蘇る。
咳をする度に大切な記憶を失っているのではなかろうか。

初期の頃は俺のあまりの咳込みように優しくいたわってくれた同僚も、今では「うるさい!」などと言われる始末。
そんな中、試験を受けに行ったりもしましたが、あんな状態でよくつまみ出されなかったなぁ。。


5月3日

脇の下が痛い!!
前後の胸と背中はもちろん、左右の脇も痛い、特に左が。
脇が痛い。。脇の下が痛い。。。脇の下?
脇の下ってどこですか?


例の咳がまだ止まらないどころか、むしろ酷い状況でして。
前回の日記でも「肺の周囲の前後左右全てが痛い」と書きましたが、寝転んでいても苦痛なのです。
どの向きで寝転んでも、下の面になった部分が痛くてですね、寝てても痛いのが分かるので、あまり寝た気がしないのです。


咳がひっきりなしは、身体が辛いのもありますが、何よりも『不便』だ。

客先との電話でもいちいち咳が出るので、仕事に支障が。

いや、そんなことより辛かったのが前回の草野球の練習。
野球場を獲れたので張り切って参加するも、バットを振った時の胸回りが痛すぎる。
こんな打ち気な人間がスイングを封じられるなど、ストレス以外の何物でもないのです。


5月11日

王子(現在4歳)の髪は俺が切ってます。

「すきバサミは痛いからイヤ!」なんて言うもんで、普通のハサミでザックザック豪快に切り落とすのです。

ただ髪を短くするだけなら素人でも簡単なものですが、
それでもヨメ様に「余所のお母さんが、すごい上手やねって言ってたよ」なんて聞かされると、ちょっと誇らしい俺がいるわけです。
そんな時はおそらく、非常に人のかんに障る『どや顔』になっているのでしょう。

ただ、暑い季節になってきますと、去年からですが、王子は坊主頭にします。
バリカンを買ってきて、去年はこれまた完璧なスポーツ刈りを表現したものです。


で、今年。
例によって暖かい季節になってきたということで、バリカン登場。
1年ぶりですっかり使い方を忘れたが、まぁとりあえず電源を入れて刈ってみる。


ショリッ


何だか滑るように左後ろの髪を一部消滅させたが、去年もこんなのだったっけ?

とりあえずもう1度。


ショリッ


・・・・明らかに不自然に髪が無くなっている。
そうか、『これ以上短くならない』というオプションパーツが付いてたが、それを装着して去年は全体を刈ったのだった。

なんとかこのオプションパーツ無しの状態で他も刈りつつ上手く自然な感じで誤魔化せないか。


ショリッ


だめだ、傷口が広がっていく。。

大人の判断で、ここからでもオプションパーツを装着して残りの髪をすべて刈るという方針変換。

なぜ最初からこうしなかったのか。
正面から見ると髪の短くなった爽やかな王子の姿が。
王子本人も気に入ったようで何より。

だが本人の死角となる部分の惨状は。。。「すまない」と心の中で詫びつつ、 美容業の責任の重さを少し知った春の休日。


5月17日

まだ咳込んでいます。
もう2か月ということで、内科に行くのは辞めて、耳鼻咽喉科へ行ってみました。

そして頂いた診断結果が、例によって「異状なし」。
耳鼻科の範疇となる箇所に問題は無いのだそうです。

そしてその夜から発熱。
風邪きっかけの咳が止まる前に次の風邪を引いたようです。


5月24日

下の子のオムツをよく購入するので、我が家は段ボールが豊富。
ということで、子供の頃にやった憶えのある、段ボールで土手などの斜面を滑るあの遊びを王子とヨメ様とやってみた。

大人の体重でやると、想定外の加速で意外な恐怖を味わうので、やる人はご注意を。

また、そんな子供の頃の感覚とのギャップを感じる俺をよそに、
なぜか声出して高笑いしながら何度も滑り続けるヨメ様に空恐ろしいものを感じた。


6月1日

近所のショッピングモールの洋服店。

「 New York 」と胸にプリントされたTシャツが売られている。

アメリカの首都以外で最も栄えている都市名がプリントされているという意味では、
日本でいうと、「 大阪 」と胸にプリントされたTシャツと同じかと思うのですが、 これはアメリカ人に見られると笑われるダサTなのではないのだろうか。


6月29日

ボクは今、東京へ向かう電車の中です。

車窓に流れる山々が、まるでボクを見送ってくれているようです。
今こうしている気持ちとこの景色が相まって思い出へと進化し、心に残っていくのでしょう。

あ。。。となりの見知らぬおっさんに窓の日除けを下ろされ、景色が見えなくなりました。
天気悪いのに。。。
そしておっさんは寝だすという。

どーいう嫌がらせか、それともヒットマンにでも狙われているのか。
後者なら、すでにボクにも『流れ弾命中フラグ』が立っています。



さて、となりのおっさんはどーでもいいとして、ボクが電車に揺られている話に戻しますと、実は旅行ではありません。

ボクは東京に住んで、東京で働くために、この14号車1D席に座っています。

東京のことなんて殆ど何も知らない、
独りで新幹線に乗るのも初めてなボクがです。

最近気づいたのですが、ボクは大阪に、それも地元の八尾に人一倍の愛着があったようで、39年間八尾を離れていません。
実家の周辺をしょっちゅう歩くも、同級生に会ったことが無いので、もしかするとボク以外は既に八尾から離れたのかも知れません。
そんな耐久八尾居残りレースにも勝ち残ってしまうほどの地縛ぶりなのにです。

この2ヶ月、無謀だと何人にも言われました。
どうかしてるんです。

これによって失うものを冷静に考えてみると、その大きさと数に、ちびりそうになります。
もっとやれることや選択肢が有ったんじゃないかと思うと、胸が張り裂けてお腹の魔物を放出し、痩せてしまいそうなほどです。

準備期間と称して有給消化し、ダラダラ過ごしたこの数週間も、この『やってしまった感』が治まることはなく、 新しい生活が軌道に乗るまでは、治まりはしないのでしょう。


なのでボクとしては、この行動が「失敗だった」とならないように頑張っていかねばならない訳です。

さしあたり不安と寂しさで、この絹ごし豆腐ばりにデリケートなハートが壊れないよう、 ポジティヴに状況を分析していこうと思う次第なのです。

くしくも東京ではオリンピックやマイナンバー制度を前に技術者の需要が大いに上がっている時期であり、 タイミングとしては決して悪くないのです。
(年齢的には遅すぎる感が強いけど)

八尾で外の世界を知らずに終わるはずのボクが、日本を知るべく立ち上がる機会はもうここしかないかもしれない。
そう、これは天下に号令をかけるための上洛なのです。
すみません、号令はかけません。

あとはスワローズファンがホームグラウンドの神宮球場に近づけるという些細な特典付き。


もしかすると東京の水が合わず、ギブして大阪へ泣き戻るなんてことも無いとは言いませんが、
出てきた以上はやれるところまでやってみるという、ありがちな覚悟表明で、本日は締めたいと思います。


6月30日

自他ともに認める『生活無能力者』である俺は、一人暮らしなどしたことが無い。
そんな俺が単身赴任とは。

そんな訳で東京生活1日目。

だったのですが、ドラッグストアや100円ショップで生活用品を買ってきた程度。
その後は夜に知人と晩御飯を食べたくらいで、劇的な新生活ということもなく。

この先、東京で生活していくのなら、今日がその第1日目という記念すべき日だったのに。

いや、そういう意味では、昨日が大阪最後の日で、昨日こそ何か思い出に残ることをすべきだったのではないかと、 今更気づいた。。。


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