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7月1日

枝豆が好きでして、とくに茹でたての『八尾の枝豆』をこよなく愛する者であります。
そんな俺の影響か、王子(3歳)も枝豆の呪縛に捕らわれた悲しき宿命。休日の夕食では、茹でたての枝豆を2人でパクついているのが、我が家の見慣れた光景だったりします。

そんな王子が先日、
「 畑に枝豆を探しに行きたい! 」
と、言い出した。
いよいよマニア的な要求を放ってきたわけですが、まぁ、散歩がてら行ってみるかと、2人で散歩へとくり出した。

ちなみに我が家の『散歩』とは、王子を自転車の前に乗せて延々走り回るという、自転車を漕いでる俺だけが疲れるイベントのことである。
初期の頃は近所をブラブラと適当に走るだけでしたが、だんだんと遠くの地へと踏み込んでゆき、 最近ではもはや住んでる八尾市に知らない道は無いのではないかというくらいにまで走りたおすと共に、 2つ隣の市くらいであれば遠征に躊躇が無くなってしまっているのです。

さて今回はというと、枝豆畑なんてものは山の方へと進むほどに存在しているのではないかという特に根拠のない予測を頼りに信貴山方面へとペダルを漕ぎ出したもので、 道中に通りかかった畑で自転車を停めては畑を覗いて、「 あれは枝豆かな? 」などと、親子で相談するだけの企画です。
途中からの急坂では延々と自転車を押して坂を上がるという苦行を経て、ついにケーブルカーの駅まで到達。そこで付近の畑を観察し、木の柵に絡まっているツルになっている豆らしきものを「枝豆」と断定して帰ってきたのでした。


あれから時が経ち、このたび八尾市広報で見つけた『枝豆掘り』の参加企画に当選しまして、指定されたこれまた山の手の畑へと枝豆を採りに行ってきました。
この時に初めて知ったことが、枝豆ってのは土から膝あたりの高さまでワサワサと生えた茎と葉の中にごろごろとなっているということ。その見た目は今まで想像していたものとは違うのです。
先日王子と繰り出した山で枝豆と断定してきたものは、枝豆ではないのですね。。。

いちど形を知ってしまえば色々と見えてくるもので、そんな中には非常に残念なものも含まれていたりします。気付いてしまいました、山まで探しに行かなくても、ウチの斜め前の畑に生えているのって、全部あれ枝豆だわ。。。


7月7日

本屋に行ってみて気が付いたのですが、『零戦』に関する本や雑誌が出まくっているようです。

戦後のマスコミや教育会は『日本軍』にとても冷たいので、大東亜戦争での零戦の活躍や英雄譚なんてものを見せたり教えたりすることはありません。
なので、マスコミが絶大な影響力を持っていた日本においては、例えば零戦のエースパイロット達の勇姿なんてものは、ほとんどの国民は知る機会も無かったわけです。
それが昨今では、インターネットの威力が大きいようですね。色々と過去のことを手軽にかつマスコミや教師を通さずに知る機会が増えたことで、このような『零戦』本が売れるようなご時勢になったのですから。


それはそうと、今『零戦』本が出まくっている直接の理由を想像してみた。

・今年に入って小説『海賊とよばれた男』が、かなりの話題となっている。
    ↓
・そんな話題をキッカケに、著者の百田尚樹氏のデビュー作である『永遠の0』が、泣ける名作とであるいうことが世間に知られるようになって、いま再ブレイクしている。
    ↓
・それにあやかって『永遠の0』のベースとなっている日本海軍の主力戦闘機『零戦』に関する書籍が続々と出版されている。

こんなところではないかと、予想してみました。どうだろうか。


■■■7/13追記■■■

ジブリの新作映画『風立ちぬ』が発表されましたが、この主人公が零戦の設計をした堀越二郎をモデルにしているのだそうです。

さすがジブリ。零戦本が次々に刊行される理由はこっちでしたね。。。


7月14日

一週間後に参議院選挙があるそうです。
そろそろ印象操作も露骨になってくる頃かと思うと、ついついミスリードを確認してみたくなって地上波の報道番組を見てしまう今日この頃です。

今回の選挙の争点は「憲法96条の改正」なのだそうです。憲法96条は憲法の改正手続きについて記されている条文です。総理としては、あまりにも高すぎる現行憲法の改正への壁にまずは一石を投じたいのでしょう。
おそらく安倍総理とその周辺が憲法改正へ向けて主導し、自民党の左派や公明党、その他野党にマスコミなどなどがそれを潰しにかかる構図なのでしょう。
自民党が選挙依存している公明党が潰す側にいる時点で、選挙結果に関わらず潰されそうですけどね。


さて、日本での「左」は世界での「左翼」とは違って、歴史ある日本の国体を潰したい人たち、中には日本を外国の食い物にしたい人たち、というように俺の目には映っています。というのも、彼らの主張の多くが日本を敵視する国に利するものが多いと感じるからです。もちろん彼らは憲法改正にも反対します。

ここからが俺の素朴な疑問。
しかし日本を切り売りしたり壊したりするには、日本の憲法を自分たちの都合に良いものに変えてしまえば捗るわけで、そういう意味ではこの憲法96条改正にも前向きに食いつく左派がいてもおかしくないように思えるのですが、なぜそろって反対なのだろうか。

すでに都合のよい状態だから変えたくないのか。それとも、現状の無防備な日本の状態を保つことの方が優先度が高いと考えているのか。錦の御旗である憲法9条に近づかれるのを恐れているのか。

まぁいづれにせよ、近隣の反日国家と意を同じくして左の人達が憲法96条改正を嫌がっているということは、日本の国益としてはそれを進める方が正解なのでしょうけど。


8月12日

2度もぶった。親父にもぶたれたことないのに。
それが甘ったれなんだ。殴られもせずに1人前になった奴がどこにいるものか!
はい。知る人ぞ知る、ガンダムの名言です。

しかし近年では、たとえ子供へのしつけといえども叩くのは駄目、というのが世の中の一般的な風潮です。
世の学校なんかでも、どんなにタチの悪い生徒がいようとも、そこに教師が手を上げようものなら、教師の方が首を切られて生徒はのうのうと学校生活を続けるのが今の日本です。

最近テレビでよく見る尾木ママもよく言ってます。子供がどんなに悪さをしたり言うことをきかなくても、常に「どうしたの?」と聞いてあげて、決して手を上げてはいけないのだそうです。
尾木ママが「どうしたの?」って感じですが、尾木先生曰くヨーロッパをはじめ海外では子供を叩くなんてことは決してせず、 優しく言って聞かせるのが当たり前なのだそうで、「叩く」というしつけの選択肢が議論になるような日本は、 この分野では世界に遅れをとっているのだとか。

欧米の小学生の先生はムチを持っているイメージでしたが、どうやら先入観だったようです。
ただ、尾木ママの海外情報が本当なら、海外が日本より治安が悪いのは、そのせいじゃないか? と、思えてしかたがないのは俺だけでしょうか。


俺はというと、体罰を多様して育てるという手法は好まないのですが、子供が何しても絶対に叩かないという縛りをわざわざ設けるというのもどうか、というのが正直なところ。
ここはという場面には、時として厳しく叩くのもアリなのではないかと思っている次第です。

ウチの王子は良く言うと「ヤンチャ」な部類に入るようで、特に最近困っているのが人を叩く事です。
よその子供が近くを通ったりすると、面白半分に叩きに行こうとすることがよくあります。もちろん親としては全力で止める訳ですが、3歳になった彼の瞬発力が上がってきており、止められないことも多々。
結果、「ごめんね」「すみません」と相手に謝ることにももう慣れてきました。
俺もヨメ様もしつこいくらいに怒ったり言って聞かせたりしていますが、なかなか直らないのが悩ましいところです。

そんな中での昨日のわが家での出来事ですが、王子が面白がってヨメ様を叩いていたのです。「やめなさい!」とヨメ様が叱っても、しつこく何度もやるんですよね。

これはそろそろ父ちゃんが厳しくいくべきところだろうと思いまして、俺が少々強めに王子を叩きつつ大きな声で叱りつけてみました。
王子は痛かったのとびっくりしたので泣き喚いております。そんな王子にヨメ様がなだめるように話しています。

「ホントは父ちゃんも叩きたくなんてなかったけど、解かってもらいたくて叩いたのよ」
「叩かれると痛いでしょ?」
「いつも王子が人を叩くけど、叩かれる方はこんなに痛くて悲しいのよ」

見事な夫婦連携。そんな声が聞こえてくる中、俺は自分の右手を押さえていた。
気の小ささが小動物並みの俺には人を叩いた経験が無かったもので、 どうも叩き方が上手くなかったらしく、頭の堅いところを叩いて逆に自分の指に大ダメージを負ったらしい。
打撃技を仕掛けた方が明らかに痛がっているというプロレスでよく見られるアレです。

右手中指の第1関節あたりを押さえながら、「まさか折れてないよな」などと不安に沈む俺が居ましたが、ヨメ様が「叩かれる痛み」を教えている今、俺が痛がっている事を悟られるわけにはいかない。もし王子に気付かれようものなら「叩く方が痛い」などと言い出しかねないのです。


翌日、指の痛みが少しマシになり、ホッと胸を撫で下ろしている俺の横で、ヨメ様と「昨日父親に叩かれたことなど憶えていない」といった要旨の会話をしている王子の声が聞こえてきました。

残ったのは俺の手の痛みだけか。。。


8月31日

昨年12月から松江市内の市立小中学校にて『はだしのゲン』に閲覧制限がかかっていることについて、 その賛否を巡って物議をかもしていた件について。
先ほどチラリと見たワイドショーでまだこの話題を取り上げているようでしたので、騒ぎはまだ落ち着いてないようですね。

表現の自由がありますから、「こーいう漫画もあるんだね」ということで制限など不要だとは思うのですが、この件の問題はそんなことではなくて、「何でコレを学校に常備する必要があるのか」ってところだと思います。
そもそも『ワンピース』や『ドラゴンボール』を小学校に持って行って読んでいたら、 先生に怒られるじゃないですか。
それが何故、同じジャンプコミックスの『はだしのゲン』は、学校側が率先して読ませようとするのでしょうか。
このあたりを深く考えてみると、何かが見えてくるのは私だけでしょうか。
だってあの漫画は、そもそも少年ジャンプではすぐに連載打ち切りになって、その後は左翼系の機関紙を転々として連載されていた漫画ですからね。


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