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2002年 1月10日

2002年、とうとう仕事が始まってしまいました。
今年の正月休みは9日間の大型連休でした。
昨秋70連休、一昨年300連休を難なくこなした俺には9連休など微々たるものですが、試用期間で危ないながらも現在では社会人に昇華した身にとっては、貴重な9連休なのです。
そう、コンクリートジャングルで戦う戦士は、この間に疲れを癒し、来たる年への英気を養う。
さらには俺のような駆け出しは、この間にも技術を身に付けるべく精進しなければいけません。

では、アッという間に終わったように思えるこの9日間、俺はいったいどのように過ごしたのだろう?
今一度、思い返してみようと思う。

9日は216時間。
100時間は寝たような気が。
ダラダラとテレビを30時間は観たか。
唯一まともに外出した初詣など10時間。
10時間は酒浸り。
マージャン2回で約20時間。
ドラクエW30時間。
競馬10時間。


・ ・ ・ ・ ・


なんじゃこりゃー!?
ヽ(゜▽、゜)ノ

正月の神様!
いい子にしますから、もう1度やり直しさせて下さ〜い(涙)


3月15日

約27年前、世界中の無気力エナジーが融合して一つの生命体が誕生した。
それが俺だと学会でもっぱらのウワサです。
こんばんは。


身体の方が全快したら社交性を出していこうなどと考えつつ、やる気なく日々をすごしておりましたが、
一生全快しないような気がしてきたので、とりあえずテキスト復帰してみます。

事の発端は2月2日、寒さに弱い俺には毎年恒例、ひくべくしてひいた風邪がすべての始まりでありました。
試用期間が明けて4日目にして欠勤。まあ安静にした甲斐あって熱・喉痛・鼻水はすぐに治まりましたが、どおも咳が止まりません。


そして月日は流れて春3月、まだ止まりません。。。

もはや会社では結核説・疫病説が渦巻く中、BGMの如く俺が咳する音が事務所に響き続けております

そんなある日の3月4日、風邪をひきました。
前のが治ってないのに上書きとは。

しかも3日ほど前から、咳するたびに左胸に激痛が走ります。
熱や鼻水よりもこの痛みがツライ。
冬場の体の弱さには定評のある俺も、さすがにこの痛みには耐えれず、ってゆーかかなりヤバそうな感じに耐えれず、ついに病院へ行きました。


今までの経緯、胸の激痛の事などを一通り医者に説明。
そして、医者の診断結果、

    「 筋肉痛 」

なんでやねん!! ベタなツッコミが危うく声となって口から漏れ出しそうになる。
しかし医者もすがるような僕の目に心が動かされたのか、レントゲン・血液検査・尿検査、点滴のおまけ付きでもう少し詳しく調べてもらう事に。
そして改めて検査の結果、

    「 筋肉痛 」(あわれな仔犬を見るような目で)

なんだか身体の不調が気のせいに思えてきました。
正直今日は、会社を休もうかと迷ってたんですが、何事も無かったかのように出社。
”病は気から”とはこの事か。

まさか近代医療でショック療法を用いられるとは思わなかったが、
もし本当は筋肉痛でないとすれば、きっとあの医者は俺が帰った後に親を呼び出し、 「なんとか今日のところは誤魔化しましたが、お宅の息子さん・・・」な地獄絵図がきっと展開されたのでしょう。


なんかずいぶん久しぶりにパソコンの電源を入れたような気がします。
まだウチのパソコンにインターネット接続を行う力があるのか心配しましたが、なんとか大丈夫でした。
今後もブロードバンドという言葉は聞こえないフリして生きていきます。


6月30日

今日は代休でお休みです。
普段ムチばかりでしたが、やっと小さなアメをくれました。
あれだけ休日出勤したのだから当たり前なのですけどね。もう完全にマヒしてます。

拷問のような仕事量もやっと落ち着き、そろそろまともに週末を休めるかと思った先々週末も、会社引越しのためやはり出社でした。

では、某ホテル内のテナントから、さらにより良い環境を求めて引越しした我がチェルノブイリ社(仮名)で現在、私がどのような環境で労働に勤しんでいるのか説明しよう。

まず我が社の周辺、なぁ〜んも在りません。
敷地内は緑が豊富すぎ。ただし総て雑草である(アブラ虫大量発生中)。
いったい何年間あの状態ですか。
あの天を突く勢いでのび放題の雑草達、ラピュタにでもするつもりか。

会社から半径数キロのエリアは、どうやら道路と工場のみで構成されているようである。
歩いて行ける範囲に唯一在ると言われている弁当屋は、いきなり月曜の昼間から閉まってました。
この工場地帯でその従業員達の弁当をほぼ独占的に売りさばけるにもかかわらず休業という強気の運営。
まったく堺の人間は欲が無い。
かつて堺の商人といえば歴史的にも有名と聞いていましたが、ありゃあウソですな。

会社の横にはどうやら高速道路の降り口があるらしく、ちょうど窓からは降りてくる車たちが見えるのですが、 大型車両などが通ると、会社が揺れます(爆音付)。

冷房効きすぎで全員凍死寸前の上にエアコンの風はかなりイヤ度の高いニオイが。
初日から約2名、体調不良を訴えています。
 シックホーム症候群ですか?

最寄の駅から15分ほど歩いて通勤している訳だが、今まで駅前に通っていた俺には毎日これを往復するのはキツい。
そんな時ほど社内では何処からともなく不確かな噂が流れます。
普段は会社を出て左へ行くとすぐ国道があり、それに沿って歩くと以前の事務所の裏手まで行きつくのですが、 じつは会社を出て右へ行くと近道が在るという噂を聞きつけ、早速チャレンジ(pm10:30)。


.....怖すぎ。


夜はゴーストタウンと化した暗い工場地帯、リアルバイオハザードに突入。
汚染された工業排水100%で構成された川沿いの後半の道などは、水木一郎先生の漫画なら間違いなく妖怪が出ます。 あの川なら新種の海洋生物が這い出してきても誰も驚きません。 いや、驚く。


ちなみに我々の事務所が引き払ったホテルには先週、火曜日にイングランド代表、木曜日に日本代表が泊まっていた。 <ちぃっ

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ブロードバンド始めました。
ADSLで高速インターネット。WEBプログラマとしては当然の身だしなみなのさ。
意気揚々とLANを繋いだんですが、・・・遅い!
3ページの遷移以内にIEにアプリケーションエラーが発生するという恐ろしい環境でネットしてたせいか、 最初の2・3日こそすっかり騙されていたが、ぜんぜん高速じゃないではないか!
しかも日に日に遅くなっていってるように感じるのは俺の気のせいか?
それとも同時にインストールしたXPが俺のPCには重荷だったのか?


7月9日

私の趣味はダイビングなのです。
たとえ潜水本数がライセンス取得時の4本だけであろうとも、
それが日数にしてたった2日だけであろうとも。
俺様はダイバーなのである。

思い返せば1年前、給料日の直後に沖縄へ飛び、ライセンス取得。
いきなり給料を使いきったその2週間後に会社を辞めるという、人生のダイビングを決行
危うく器材なしで入水しそうなほどの貧困を極め、半年前に何とか現職に再就職するも、
あまりの安月給のために毎月生きるのでやっとだった私も最近では多少もち直し、
ついにこの度、2度目のダイビングへ旅立つことになりました。

ちなみに俺の通うチェルノブイリ社(仮名)では、休日出勤はあっても休日出勤手当なるものは存在しない。
休日働いた分は代休があるというのが建前であるが、そんなものは当てにならないというのは、もはや暗黙の常識である。
4月5月にその代休を荒稼ぎしたわけですが、金曜日にその代休を1日使うことで、木曜の晩から日曜の晩までの3泊4日の旅というのが当初の予定だった。
しかし偶然にも現在、仕事の変わり目という事もあり、さらに前後1日づつ代休の取得に成功したのです。
「みんなが働いてる時に沖縄旅行とはいい気なもんだ」とでも言わんばかりの周りの視線だったが、遠慮するいわれはない


そんなわけで出発当日、優雅にも昼過ぎに起床。
関西空港までの2時間を引いても午後5時くらいまでは時間があったので、
とりあえず友人に手紙でも書いてみることに。<- 何で?
そして午後4時、郵便局から帰宅。そういえば旅の用意を何一つしていない事に気づき、あせり出す。
わたわたと準備の途中、横でついてたテレビで衝撃報道が。
アナウンサーの野郎が言うには、「台風5号が現在沖縄と九州南部を直撃」


・ ・ ・ 観なかった事にしました。


ええ 台風なんて来てませんとも。
沖縄ダイビングツアーへ出撃です。


7月10日

約2時間空港で待たされたた後、飛行機は離陸。
飛行中に機長が放送で「揺れますがご心配なく。全く問題ありません。」などと 言っておられたが、今まで落ちた飛行機でも同じような事を言ってたんだろうな。

飛行機では機内放送なるものが放送されています。
夜の機内なんて退屈極まりないので、当然俺も放送を聞き入っていたわけです、落語の。
しかしあの放送って1時間経ったら最初から放送し直しなのか?
桂朝丸(ざこば)の落語、そろそろオチってところで急に前フリから話し直しになるんですけど・・・
同じ落語(オチ抜き)を連続で聞かされるなど、悪質なイヤガラセとしか思ない。

さて。そんな事をしてるうちに無事沖縄に到着。
那覇空港で最初に目に入った物は、『国際武道大学』の看板。
さすが沖縄! 武道家たちの聖地! 砂浜では各地からやって来た格闘家たちが走り込み、 ヤシの木に正拳を突き続けるといった修行に明け暮れているのでしょう。
沖縄のイメージなんてそんなものです。


ダイビングの旅まだ2度目の私、今回最大の楽しみはボートダイブ。 ええ、船から後向きに飛び込むアレです。
沖縄まで来れてしまえばこっちのもの。台風で水面の波が荒れてようが潜っちゃえば楽しい 世界が俺を待ってるハズ。<こんなヤツが毎年死んでいる

空港までは現地でお世話になるダイビングハウスの方が迎えに来てくれました。 その人からの速報、
「あした船が出ません!」


・・・ あっ  そうか!? < 頭ワルっ


思い返せは1年前、落ちれば確実に死が待つ崖を約20キロの装備を背負って海に降りたのが真栄田岬。
降りるのも必死だが疲れて戻ってきた時にあの崖を見上げれば、 素でそのままココ(海)に永住しようかと考えてしまうダイバーの登竜門である真栄田岬(死体が浮いてないのが不思議)。
その真栄田岬に今年も立とうとは。
もちろん崖下の海は荒れ狂ってます。

ここに入るのか?

その後、奇跡の生還を果たしたわたくしのコメント:
    「タイタニック(沈没後)」
衝撃映像の特番なんかでよく見かけますよアレによく似たシーン。
番組ではあんな海にいる人が救出されてるんですが。


今回の予定ではボートダイブ。2日目には船で別の島まで足を伸ばすハズだった。 そりゃあもう、この世の楽園らしいのです。

 ・・・中止。。。

でもまぁ今回も2日目には何とか沿岸なら船を出せるってことで、ついにボートダイブデビュー!

感想 : 「楽」
あの重い装備をほとんど背負わなくていいなんて。
ヒャッハーー!! < テンション上がってきた


そして最終日、午後の飛行機に乗るので、最後の早朝ダイブ決行。
その舞台は、真栄田岬でした。。。


7月15日

我が社は私服出勤可である。
私服出勤可の会社に通う俺は、もちろん私服である。
そう、俺には堅苦しいスーツなど必要ないのである。

そんな俺に指令が下った。

「 君、明日から客先に常駐 」

なにぃ
我が社は私服出勤可である。
しかし客先は私服出勤不可である。
私服出勤不可の現場に通う俺はもちろんスーツである。
そう、俺には堅苦しいスーツが必要なのである。


心配無用、さすがに俺もスーツくらいは持っている。
約10年前に大学の入学式用に購入した夏物だけどね。
たぶんまだ20回ほどしか着てないはず。

濃い色のパンツさえ履けば、よもやケツに穴が開いているなどとは誰も気付きますまい。


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